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2016年11月16日水曜日

渡米アトピー治療・体験談 第8話

10月チームの方で30年間ステロイド外用剤を使用しながら、一度も止めた事が無いので初めてリバウンドを2015年に経験された方です。

このような状態になっている方は決して少なくありません。脱ステブログなどを読んで、民間療法や漢方で乗り越えようとするととんでもない事になり、ステロイドを又使い始めるか地獄の用な日々を暮らし我慢し続ける二つのパターンを問診票で読みます。

ステロイドの強さ、頻度、範囲などによってリバウンドの強さは異なりますが、コントロールしながら進めないと、漢方や民間療法ではとても辛い思いをしてしまいます。我々も沢山の方達のリバウンドをコントロールして来たので、辛くなく、日本からの強いステロイド外用剤から離脱出来るシステムをドクターマセソンが作ってくれました。

この方は渡米する前、食べるのもやっとなぐらい重症で、何をするのも痛いし常に痒みがあり、睡眠も取れておらず、ぼろぼろの状態で渡米されました。魂も皮膚も両方限界の状態になっていたのは全員理解していました。

初診日の診察時にドクターブラウベルト(ドクターマセソンのパートナー・皮膚科スペシャリストとOHSU教授)にも診て頂き、ドクターマセソンが”これがアメリカでは見ないリバウンドの結果で、患者本人は医学的根拠のある正式な治療を行っていない”と説明していました。渡米直前までに行っていた治療は電流を体に流す治療、食事療法と脱お風呂・脱保湿(お風呂は1か月に1回)の方針だったようです。

ドクターブラウベルトが診察室から出た後は、首を振って”That is too bad and just too sad””とても可哀そうでこれは悲しいですね”と言いました。英語でのニュアンスでToo Sadは直訳で悲しいとも言いますが、あまりにも低レベルな治療すぎて悲しい事態とこの場合はとらえます。脱保湿などの治療方針を指摘や反論する以前の問題でもはや悲しいとしか表現できないようになります。

治療がスタートした時点でいきなり16時間ぐらい寝れたようで、同チームの患者様から私の方へ夜心配でお電話が掛かって来たぐらい寝てくれました(まさか。。のお電話でした)。

治療の経過が一番説得力あるので、我々の指示通りケアも行って頂き、とても理解力が強い方でした。ポートランドも色々と冒険して、バスを使ってシアトルも行きました。英語も少し話せる方でしたので、終盤ではリーダー的な存在になっていました。渡米時はしゃべる事もあまり出来ず、疲れ果てていましたが、別人になっていきました。

最後の週はポートランド・シティ・グリルのブランチで、日本の旦那様から、結婚記念日をアメリカで過ごす事になるのでお花とカードをブランチで用意されていました!なんてすばらしい旦那さん。。私も見習わなければいけません。これは母と旦那さんのプランで患者様には秘密にしていました。私はてっきり忘れていたので、テーブルに着いた時に”なんやこのお花とかは、テーブル間違えとんのちゃうか。。。”と言ってしまいました。母のするどい目線がこちらに届いた瞬間に思い出しました。台無しにする寸前でした。






渡米中にゲストブックをすべてワードファイルにタイピングしてくれました。これは後日英語に翻訳してドクターマセソンにプレゼントする予定です。お礼としてOven & Shakerのピザを食べに行きました。ブログにも参加して良いと了解も頂き、本当にこちらからも感謝しております。このようなモデル患者と出会えたのが光栄に思えます。この治療、ドクターマセソン、我々と出会えたのも何等かの縁だと信じています。



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